『理不尽な進化 増補新版』
副題:遺伝子と運のあいだ
出版社:筑摩書房
レーベル:筑摩文庫
単行本もあり(朝日出版社、2014)
出版日:2021/4/12
【目次】
まえがき
序章 進化論の時代
進化論的世界像――進化論という万能酸
みんな何処へ行った――?種は冷たい土の中に
絶滅の相の下で――敗者の生命史
用語について――若干の注意点
第一章 絶滅のシナリオ
絶滅率九九・九パーセント
遺伝子か運か
絶滅の類型学
理不尽な絶滅の重要性
第二章 適者生存とはなにか
誤解を理解する
お守りとしての進化論
ダーウィン革命とはなんだったか
第三章 ダーウィニズムはなぜそう呼ばれるか
素人の誤解から専門家の紛糾へ
グールドの適応主義批判――なぜなぜ物語はいらない
ドーキンスの反論――なぜなぜ物語こそ必要だ
デネットの追い討ち――むしろそれ以外になにが<? br> 論争の判定
終章 理不尽にたいする態度
グールドの地獄めぐり
歴史の独立宣言
説明と理解
理不尽にたいする態度
私たちの「人間」をどうするか
文庫版付録 パンとゲシュタポ
「ウィトゲンシュタインの壁」再説
理不尽さ、アート&サイエンス、識別不能ゾーン
反響その一――絶滅本ブーム、理不尽な進化本ブーム
反響その二――玄人筋からの批判
私たちは恥知らずにならなければならないのか
あとがき/ 文庫版あとがき/ 解説(養老孟司)/ 参考文献/ 人名索引/ 事項索引
生き残りではなく絶滅の観点をとる。
理不尽さ。
第一章
99.9%の動物は絶滅してきたし、これからもする。
デイヴィッド・ラウプ
遺伝子が悪かったのか、運が悪かったのか
絶滅への三ルート
弾幕の戦場
公正なゲーム
理不尽な絶滅
フェアプレーにはまだ早い
恐竜への自己責任論
恐竜はなぜ滅んだのかの二つの説明(抜けている一つ)
理不尽な生存もある
単純な絶滅のペースは案外遅い
個における死と種の絶滅
なにかしら理由がある
理不尽からの逃走・理不尽をめぐる逃走
第二章
適者生存についての一般の誤解を理解する
自然淘汰・適者生存という言葉の学問的、一般的利用。
なぜ誤解するのか
知識や理解不足ではないとしたら?
言葉のお守り的使用法(鶴見俊介)
主張的・表現的
トートロジー問題(すでに終わった問題)
適者生存はハーバート・スペンサーによる言葉
優生主義などとの結びつきもあり現在学問ではほとんど用いられない
生存するのは誰か?適者である、という基準の設置
私たちは学問的な限定を解除して、あたかも法則であるかのように進化論の言葉を使う
自然淘汰は「自らの足跡を消す」
自然淘汰のプロセスは、このように、自らの活動の痕跡──かつてどのような変異が存在したか、それらがどのように選別されたのかの痕跡──を破壊しながら進むのである。
学問としての進化論と社会通念としての進化論
社会通念としての進化論は、何に対する信仰を示しているのか
ダーウィン革命について
ダーウィンの登場によって、非ダーウィン的な進化論的世界像へと刷新された(
ピーター・J・ボウラー)
発展的進化論
生物は決まった目的・目標に向かって順序正しく前進的に変わっていく
ラマルクやモネなど
森羅万象を説明する壮大な進化論→スペンサー
時間が進むにつれ、どんどんよくなっていく「社会進化論」
産業革命後のイギリス、自由市場主義と競争
ダーウィンがもたらした大きな見方の変化
「存在の連鎖」→「生命の樹」
進化≒進歩として使われる」
第三章
適応主義をめぐる論争(専門家サイドの話)
スティーブン・ジェイ・グールドの仕掛けた論争
ドーキンスとデネットの反論
リサーチプログラム
デザイナーなしのエンジニアリング(アルゴリズム)
目的論的な考え方からの脱却
負けてしまったが、それでもなぜ彼がこだわり続けたのかという謎が残る
終章
歴史に対する毀損
現在的有用性と歴史的起源
説明と理解
進化論の二本の柱
自然淘汰と生命の樹
偶発性があまりに軽んじられている
偶発性・不条理・蓋然性・理不尽
「そうであったかもしれないもの」
第二章「適者生存とはなにか」まで読了。私たちが社会生活の中で使っている「進化論」的な言葉遣いと学問の進化論の乖離について。私たちの言葉遣いの「進化」は、ある意味変化をしていない。
個人的な興味は、お守り的役割が十分に機能しているとして、なぜそこに変化が生じなかったのか、という点。一応それを念頭に置きつつも、先の章に進む。
第三章は、サイモン・シンのような面白さがある。
第三章「ダーウィニズムはなぜそう呼ばれるか」。グールドとドーキンス(&デネット)の論争をたどりながら、グールドの「負け戦」に注目する。最後は、グールドのそのこだわりへの「なぜなぜ物語」が喚起される。
終章「理不尽にたいする態度」まで読了。ここにきてもう一段射程が広がる凄まじさ。それでいて遠くに行っているようで、近づいてもいる。とりあえず、付録に進もう。
付録「パンとゲシュタポ」。"私たちの世界と人生に現れる理不尽さ≒識別不能ゾーン≒ウィトゲンシュタインの壁をなかったことにしたいと感じたとき、私たちは簡単にダークサイドに堕ちてしまう"
https://gyazo.com/c429fe513ef745d30ac6d69019b09807
p.243
業界にもたらした効果の大きさという観点からみれば、スパンドレル論文は十分に成功をおさめたということができるかもしれない。だが、「論敵の批判と自説の擁護」というスタンダードな観点からすると、やはりグールドは負けたのだといわざるをえないだろう。そもそもスパンドレル論文の主要な論点は、適応主義はまちがった方法論である、これからは適応主義に代わる方法を採用しなければならない、というものだったのだから、グールドが望み、また主張したのは、適応主義プログラムを止揚するような根本的な方針変更だったのである。
しかし、適応主義プログラムを中核とするネオダーウィニズムの主流派陣営は、研究業績という点で当時から圧倒的に優勢であったし、いまなお優勢である。それだけではない。批判者にとっては皮肉なことに、論争によって鍛えられた適応主義プログラムは、批判を吸収することでより洗練され、より強力なリサーチ・プログラムに成長したとさえいえる。グールドが適応主的アプローチの代替案として提唱した多元主義的アプローチ(や断続平衡説)自体が、事実上ネオダーウィニズムの枠組みに収まるはずだというのが、専門家の世界における一般的な評価であり定説である。